宇野昌磨さんが北京冬季オリンピック2022と、平昌冬季オリンピック2018で2大会連続銀メダルを獲得したのは記憶に新しいですよね。
今や日本を代表するフィギアスケート選手に成長しましたが、そんな彼がどんな学生時代を過ごしてたか気になりませんか?
そこで今回は宇野昌磨の
- 出身大学・高校の偏差値
- 大学を中退した理由
- 出身小学・中学など学歴や経歴プロフィール
について紹介しますのでどうぞ!
宇野昌磨の出身大学
誕生日でさえ…
大学やスポンサー名が入った服を着てる!!!感謝を重んじる宇野昌磨選手の気持ちが
常に伝わってくる pic.twitter.com/GuD1bMP6hj— Python (@QSDeW4Dm9Qkywwt) February 28, 2021
宇野選手は高校卒業後、中京大学スポーツ科学部へ進学。
中京大学スポーツ科学部の偏差値
中京大学スポーツ科学部:偏差値50~55
2016年4月に中京大学スポーツ科学部に進学した宇野昌磨選手。
高校時代に世界のトップ選手に成長した彼は、鳴物入りで中京大学に入学。
大学進学後も、フィギアスケートで自身の自己ベストを更新し世間の注目を集め続けてます。
トヨタ自動車に入社
【コメント発表】宇野昌磨がトヨタ自動車に入社、大学生と社会人両立へhttps://t.co/XHYlHZy9XJ
トヨタ自動車のリリースを通じ「競技者としてのみならず、人としても成長できるように頑張ります」とコメントした。 pic.twitter.com/w3MStFLMaL
— ライブドアニュース (@livedoornews) June 1, 2017
中京大学2年の時、宇野選手は学生のままトヨタ自動車に入社しました。
普通は大学に在籍しながら会社に入社しませんよね?
宇野選手は特殊で大学に在籍しながら世界のトヨタ自動車のバックアップをうける事により、遠征の費用などを気にせず活動できるようになったんです。
要するにトヨタ自動車とスポンサー契約したという事です。
トヨタ自動車から具体的にどんなサポートを受けていたかというと、
経済的支援はもとより、海外遠征時には練習場所の確保・現地情報の共有など支援活動を含め全面的にバックアップしてもらっているんです。
トヨタ自動車から至れり尽せりのVIP待遇を受けているんですから、いかに当時から将来を注目されていたかわかりますよね。
当時、宇野昌磨選手は学生ながら社会人になるにあたってこのように語っています。
「十分な練習環境を整えて頂いている中京大学、このたび仲間として受け入れていただけてるトヨタ自動車に感謝しつつ、学生と社会人を両立し、競技者としてのみならず、人としても成長できるよう精一杯頑張ります」
若い内からトップ選手として活躍してきた彼が、スケートに真摯に向きあっているのが伺えます。
宇野選手は中京大学に入り1年生の2016年の時には、グランプリファイナルでいきなり銀メダルを獲得しました。
宇野昌磨 グランプリファイナル2016 ショート演技 (解説:ロシア語・イギリス英語・中国語・スペイン語)https://t.co/7Cx7p6UjOG
4Tで転倒のためコンボつけられず足大丈夫かな?無理せんでいいよって思う。この曲聴くと思いだすものが、タラソワもそうかな。
— 栗あん (@castana_kuri) December 9, 2016
翌2017年のアジア冬期大会では逆転で金メダルを獲得。
冬季アジア札幌大会2017。宇野昌磨が逆転V、機転効かせ連続ジャンプでカバー https://t.co/Z07Isl74cY pic.twitter.com/GVj4awCrBu
— フィギュアスケートまとめ零 (@xxredse) February 26, 2017
そして、2018年に平昌冬季オリンピックに出場し銀メダルを獲得。
2022年に北京冬季五輪では2大会連続銀メダルを獲得する快挙を成し遂げました。
宇野昌磨の出身高校
それではこちらが7年前の高校入学式の宇野昌磨さんですお納めください
まだ寝ちゃダメ pic.twitter.com/BcpmEvZ3p3
— あまなつ@ゆるゆる (@sweet_summer_9) April 7, 2020
中学を卒業した宇野選手は、鳴物入りで中京大学附則中京高等学校に進学。
中京大学附属中京高等学校:偏差値62
- 2013年4月に中京大学附属中京高等学校(普通科)に入学
- 2016年3月に卒業
ジュニア時代から期待の新人として注目を浴びていた宇野昌磨さんは高校進学後にスケート部に所属。
中京大学附則中京高等学校はフィギュアスケートの名門校
中京大学附則中京高等学校はスケートの名門校として知られており、宇野昌磨だけでなく多くの選手を輩出してます。
同行の卒業生にはフィギュアスケーターの
- 浅田真央
- 安藤美姫
- 小塚崇彦
- 村上佳菜子
など「オリンピック」や「世界選手権」のメダリストがたくさん在籍してたリアル名門校なんです。
そんな強豪スケート部に入ったので、当然ながら高校時代はとにかくスケート漬けの毎日。
宇野昌磨
今日のZIPに宇野昌磨さん中京高校卒業時の様子が! pic.twitter.com/wqzmaDnWzT— タワシ〜 (@Ishi0306Wata) March 1, 2019
フィギアスケートでは国内外で活躍してた宇野選手。
スケート活動が本当に忙しく、修学旅行や文化祭などの学校行事に殆ど参加できなかったんだとか。
そんな事もあり、高校時代には学生らしいエピソードはあまりないそうです。
そう考えると少し可哀想な気もしますが、世界を股にかけて活躍しているトップアスリートである宇野選手は
輝かしい結果を残し賞賛を浴びている裏で、友達関係や日常生活などを犠牲にしていたんでしょうね。
記事を公開しました。「宇野昌磨くんの高校3年生の時のインタビュー@『つるとはな』2号」 – https://t.co/92r8vKUVKA pic.twitter.com/hn1DY5orVb
— 往来堂書店 (@ohraido) February 22, 2018
そんな彼も中学時代に伸び悩んでいた時期もあったが、とにかく練習漬けの高校3年間を過ごしました。
努力を積み重ね目覚ましく成長した宇野昌磨は、高校3年間で一気に世界トップレベルの選手に成長ました。
とにかく高校時代の活躍は目覚ましく、
高校2年生のとき世界ジュニア選手権で優勝を飾り、高校3年生のときにはGPファイナルで3位になるなど、輝しい成績を収めました。
そんな宇野昌磨選手の名言を紹介。
「努力は必ず報われるとは思ってはいない。ただ嘘はつなかいとは思っている」
若くして天才と言われながら、一時は不振に苦しんだ宇野選手。
思うような演技が出来ず悩んだ時期を乗り越え、世界トップ選手に成長した彼が語る言葉ですから重みが違いますよね。
宇野昌磨の出身小学校・中学校
しょうまの人柄がわかる記事見つけた
宇野昌磨が原石だった頃――小学6年生で語っていた「僕の一番いいところ」
「アクセルが跳べない時は、すごく辛い。昨日は更衣室で泣いてました」ー高校1年 #宇野昌磨 #週刊文春WOMAN https://t.co/XUXtpZ064r— ひめコロリ (@greatestshoma) October 8, 2019
宇野昌磨の出身小学校
宇野昌磨さんの出身小学校は、名古屋市立山吹小学校です。
昌磨少年がフィギュアスケートを始めたのは小学校入学よりも前の5歳の時のこと。
スケート教室にいった時にスケートリンクで「運命の出会い」が起きたんです。
浅田真央との運命の出会い!
フィギュア宇野昌磨、浅田真央とも2ショットの“美少年”とラブラブ休暇! : https://t.co/HrRJtDrIMC #日刊大衆 #宇野昌磨 #宇野樹 #浅田真央 #羽生結弦 #ステファン・ランビエール #フィギュアスケート
— 日刊大衆 (@taishujp) January 15, 2020
たまたま参加したスケート教室で、後にオリンピックでメダルを獲得する浅田真央さんから「スケートやりなよ!」と声をかけられんです。
あの天才少女「浅田真央」ちゃんから声かけられたんですから嬉しくないわけありませんよね!
天才同士なんとなく通じるものがあったのかも知れませんが、浅田真央選の一言がキッカケで、一人の天才少年がスケートを始めたんです。
小学校4年〜6年生の間に、全日本ノービス選手権(12才以下対象)で「驚異の4連覇」を達成。
10歳の時には「スケートコペンハーゲン」に出場し、早くも海外大会に進出。
スケートをはじめた小学校時代からいきなり頭角を現し始めた宇野少年は12歳のときに小学生で唯一となる全日の強化指定選手に選出されました。
「天才少年」とか、「高橋大輔2世」と呼ばれ期待されていたのも納得しちゃいますよね。
宇野昌磨の出身中学校
2011年 雑誌より
昌磨くん 中学1年生
真央ちゃんから受け継いだ「あきらめない」宇野昌磨 #宇野昌磨 #shomauno pic.twitter.com/Zjb4Rhem9v
— むぎ (@marockskt) March 1, 2018
宇野昌磨さんは、地元の名古屋市立冨士中学校に進学。
子供の頃からスケートに取り組んでいた宇野少年。
中学時代も国内だけでなく、ジュニアの国際大会に出場していた宇野選手。
当時からスケートが忙しく、学校にあまり通えませんでした。
小学校で強化選手に選出された程の天才少年だった宇野少年でしたが、そんな彼も中学時代時には伸び悩んでたんです。
イメージ通りの演技が出来ず、国内ジュニア大会でも結果を残せず苦しんでいたんです。
中学生の時に成績が出せずに悩んだ時期もありましたが、
そんな不振期を乗り越え世界ジュニア選手権代表に選ばれ、インスブルックユースオリンピックに出場し銀メダルを獲得。
しっかり結果を残すところは流石ですよね!
中京大学を中退した理由は何?
中京大学スポーツミュージアムでは、サイン入りボードや宇野昌磨選手の衣装などをご覧いただけます✨
火〜土曜日の10:00〜16:00に開館しております!ぜひお立ち寄りください🙌
引き続きクラウドファンディングの応援よろしくお願いいたします✨#ALLFORSKATING #中京大学スポーツミュージアム https://t.co/lefVR4eJhW pic.twitter.com/5r0BdxLh3y— 中京大学スポーツミュージアム (@chukyospmuseum) October 6, 2022
宇野選手が中京大学を退学(中退)した理由がよく噂になっています。
実際の話はフィギアスケートが忙しくて、長期間にわたり休学していたので大学を卒業するために必要な期間が不足した事が原因と言われています。
中京大学の休学期間は最大でも4年間、つまり8年間しか在籍できないという事。
2016年4月に中京大学に入学した宇野昌磨選手ですが、2回生(大学2年)の時に平昌五輪のため休学。
スケートに集中するためと思われますが、平昌オリンピック終了後も大学に復学しませんでした。
休学期間が長くなってしまった宇野選手、大学に復学しても北京五輪や世界大会などのため授業に出席するのは困難だったんでしょう。
宇野選手は入学時から逆算すると、最長でも2024年3月迄に中京大学卒業しなければなりません。
2017年2月に休学し2021年春に復学しましたが、2022年の10月には留年することすらできない状態でした。
卒業できる可能性がほぼ無くなった宇野選手は、2022年10月に中京大学退学を断腸の思いで決断したはすです。
要するに、中京大学を中退した理由は「在学期限切れ」とうことなんでしょう。
とはいえ彼ほどの結果を残した選手なら、引退した後に改めて大学に通い直すこともできるでしょう。
フィギアスケート選手としてトップレベルで活動できる期間は限られています。
宇野選手が中退を選んだのは、大学卒業よりもスケートという仕事を優先させたと考えるのが普通ですよね。
まとめ
今回は平昌冬季五輪・北京冬季オリンピックで2大会連続銀メダルを獲得した宇野昌磨選手の
大学・高校の偏差値や、中京大学を中退した理由について取り上げました。
2大会連続オリンピックで銀メダルを獲得した宇野選手は、今や羽生結弦選手にも劣らなスーパースターと言っても過言ではないですよね。
忙しくて中京大学を中退せざる得なくなった宇野さん、本当は卒業したと思います。
学生生活やプライベートを犠牲にしなければならないのは、超一流選手特有の悩みなんでしょうか?
これからもそんな宇野昌磨選手の活躍に注目していきたいと思います。
⇨宇野昌磨の年収・月収やCMギャラはいくら?家族構成についても!